鴻上尚史「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」
先の大戦の後期、昭和19年10月のレイテ沖海戦(捷一号作戦)の敷島隊から始まる特別攻撃隊いわゆる特攻は様々な見解があるが、基本は否定すべき過去の出来事として扱われてきたと思う。
ただ、最近の風潮として、特攻を美化する傾向が多くなっている気もする。当事者の心情を美化し、特攻をやむなしと肯定することはあってはならないと私は思う。
しかし、特攻とは過去のある時期に発生した特殊な出来事だったのだろうか?私はそうは思えない。特攻を指導し、特攻を受け入れてきた人々は我々と同じような感覚を持った普通の人々の延長にあると思う。そして、その特攻を巡る意思決定や行動は、実は現在の日本にもいまだに生き残って日本の文化の根底にある。特攻を生んだものが日本の組織的な文化である以上、個人で抗うことは絶望的に難しい。だからこそ、サラリーマンの自殺、過労死が我が国ではあとを立たないのではないか。
本書の主人公である佐々木友治さんはフィリピンにおいて9回出撃して生き残ったという。一方、特攻を指導した高級将校は、部下を道具として扱い、最後には己の延命のため部下を見捨て逃亡までした。許されるべきではない。しかし、日本社会では同じようなことが、今日もあちこちで起きているような気がしてならない。
戦争は遠い過去の話ではなく、今日も目の前に存在するのだ。