1970年代生まれの外資系IT企業エンジニア(関西在住))です。
様々な人々の叡智からの学びを通して、経済的独立の実現を目指します。
日々の思考の糧となる書籍を紹介します。


Sabine Hossenfelder, "Lost in Math: How Beauty Leads Physics Astray" 理論物理学の隘路

 素粒子物理学というと物理学の中でも最も先端でかつ難解な領域である。

私も25年前に大学院に入学したときに素粒子理論を専攻したのだが、入学する前から素粒子物理学に未来があるのかという不安は学生の中でも共通したものであった。

この場合未来とは、素粒子物理学の研究を継続できる研究者としてのキャリアを切り開くことができるかという人生の問題から、そもそも素粒子物理学には今後実りのある研究対象がのこされているか、の二つである。

当時、すでに世界に存在する四つの力のうち重力を除いた電磁気力・弱い相互作用強い相互作用はすでに標準理論(ワインバーグ・サラム理論)が確立しており、実験分野でもW粒子、Z粒子といった質量をもったゲージ粒子だけでなく、長年観測にかからなかったトップクォークも1994年に観測され、残された未観測粒子としてはヒッグス粒子を残すのみとなっていた。ただ標準理論は物理学の基本法則というには不定のパラメーターも多く、かつ重力理論の量子化も成功していなかったため、当時は標準理論を超えた新しい物理学の候補として、「大統一理論」や「超弦理論」などが活発に議論されていた。

大学院に入学した当時、先生からはこれからは超対称性理論が重要だということで一生懸命に勉強したものである。これがいわゆるSUSY (SUper SYmmetirc Theory)であった。SUSYによると世の中の知られている粒子には必ずペアになるスーパーパートナー粒子が存在することが必要になるが、当時でもスーパーパートナー粒子はもちろん観測されておらず、かつ近い将来にも観測できるのかはその後の加速器の発展に依存していた。

そして、欧州で21世紀になってLHC (Large Hadron Collider)が運転を開始し、スーパーパートナー粒子が発見されることに期待が集まっていた。

最初の朗報として、長年観測されていなかったヒッグス粒子の観測に成功した。ヒッグス粒子は物質が質量をもつために標準理論では必要とされていた粒子である。この発見は多くの物理学者を勇気づけた。とはいえ、ヒッグス粒子が提唱されたのは50年以上まえだ。いわば、とうぜんみつかるべきと思って見つかったので、感動こそすれ大きな理論上の進展につながっていないと思う。(もちろん、ヒッグス粒子に関係する物理現象を研究する人たちには大きなインパクトがあったはずだが。)

期待はスーパーパートナー粒子の発見に集まったのだが、残念ながらいまだ発見されておらず、かつ発見されたとしても、SUSYを導入するべき動機になっていた問題の解決には根本的につながらないこともあり、SUSYへの期待が減少しているらしい・・・。

 

本書は、標準理論後の物理学者の研究の方向性や方針に対して、かならずしも数学的な美しさやパラメーターの自然さを方針にすることがベストなのかと警鐘を鳴らしている。この観点で、現在素粒子物理学の最前線を、全体を眺めつつ批判する内容になっている。インタビューには標準理論の立役者のワインバーグ教授をはじめ世界的な研究者が登場する。最近、超弦理論などを賛美する本が多い中で異色な本である。

 

著者のSabine Hossenfelderさんはドイツの女性物理学者で、量子重力を研究している現役の研究者である。

 

邦訳はまだないので読みたい場合は英語を読むしかないが、ドイツ人の英語なのか時々癖がつよいかなと思う文章もあるけど全体的に平易です。

 

東浩紀「ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる」 他人の成長から何を学べるか

本書は、若いころから文壇やメディアで活躍されていた東浩紀氏がこの10年あまりアカデミアや既存の文壇とは異なる形の「ゲンロン」という事業を起業し、その経験を語り下ろしたものである。

起業家の語り下ろしは大抵は自慢話だったりすることが多いし、成功した事例についても単に運がよかっただけで、反復可能性が低すぎて、個人的には参考にできないことがほとんだ。

本書も、基本的にその例に漏れることはないかもしれないと思いながらも、手に取って読んでみたのは、同じ1971年生まれの同世代の経験から、上の世代や下の世代の経験談とは異なる、同じ時代を同じ年代で経験したものだから得られるものがあるのではないかと期待したからだった。

内容は本当に期待どおりというか、東氏が正直に語っている失敗を通して、自分も自分の甘さについて考え直すきっかけを与えてくれた。もちろん東氏と自分とで境遇もちがうし、失敗の内容は全く異なるけど、それまでの自分の生き方や考え方が持っていた甘えや歪みみたいなものが結局自分と周囲の人間の間に結果として失敗を誘導してしまうという構造は共通していると思う。

 

例えば、

経営 状況 が どんどん 悪化 し、 社内 の トラブル 処理 に 明け暮れ た 時期 でし た。その 原因 は、 ひとこと で いえ ば ぼく が 第 1 章 で 語っ た 失敗 を 繰り返し たこと に あり ます。 それ は、 なに か につけ 面倒 な こと は ひと に 任せる という 失敗 です。 ぼく の 意識 と ゲンロン の 実態 には 大きな 落差 が あり まし た。

 

 についても、会社の中の複雑なシステムや構造の中で、面倒なことを人に押し付けてしまって、結果としてそれが長い目でよくない結果をもたらすといったことは、実はいろんな職場でよくみられることであろう。

 

また、税理士に退社されて泣く泣く領収書の整理をするなかで、デジタル情報だけでは体得できない「経営の身体化」に気づくエピソードは、デジタル化というキーワードで安易に情報技術にたよることによる弊害を指摘している部分は、経営という観点では非常に本質的に思える。

 

後半で東氏のもっていた「ホモソーシャル性」(要は同じ傾向を持つ同質な人々による組織)についての反省も、表面的にはダイバーシティといった言葉よりも、実感をもって理解できる。

 

こういった一つ一つの反省やエピソード全体を通して、東氏が図らずも成長していった過程を通して、実は自分も自分の甘え・弱さ・歪みに対して対峙していくことへの勇気をもらったような気がする。(と書くと少し青臭くて恥ずかしいけど・・・(笑)

 

 

水木しげる 「ゲゲゲの家計簿」を読んで元気になった

水木しげるは、子供のころから「ゲゲゲの鬼太郎」でなじみがあったし、最近ではNHK朝ドラにもなったので「ゲゲゲの女房」が放送されたので水木しげるの人生については割と広くしられていると思うのだが、私はこの放送をほとんど見ていないので、この「ゲゲゲの家計簿」が初めての水木しげるの自伝的マンガになった。

 

水木しげるは、戦争で片腕なくしたり、戦後も紙芝居作家・貸本漫画家で苦労して、晩婚であったのだが、そういう境遇もあまり暗いタッチでもなく、淡々と描かれていて、かつ、本人はいたって困難な状況でも、ある意味落ち込まず、とはいえ、怒りもせずに淡々と好きなマンガ家稼業を続けているところがいい。いい意味で、夏目漱石のいう「自己本位」的な生き方を実践できているように思う。

 

お金がないので、趣味は自転車で墓地をめぐることだったり、プラモデルで軍艦を作ったりするというのも、個人的には好感が持てた。ある意味、素直に自分の好きなことをやって生きているね。

 

とはいえ、貸本漫画家も生活が厳しいので40歳過ぎて商業マンガ誌にデビューする際も、最初は、自分の苦手なテーマを書くように編集者にいわれて、自分の苦手な漫画でしっぱいするくらいならデビューしなくてもよいと断ったところがすごいなと思った。金のためだったら普通は断らないところを断ることは、なかなか常人にはできないことである。

 

ほかにも、水木プロダクションのアシスタントとして「つげ義春」が活躍していたことなど、つげファンにはたまらないですね。(私、「つげ義春」も結構好きなんです。)

 

 

通信教育の速読(クリエイト・ユーキャン)で3倍速度達成した

今年はコロナで在宅勤務ということもあり、比較的自分の時間をコントロールしやすい状況だったので、普段だったら忙しくてできないことでも取り組みやすかったと思う。

そこで、以前から興味だけはあった「速読」にチャレンジすることにした。

 

速読もいろんな教室なり通信教育もあり、いちいち調べるのは面倒だが、昨年逝去された瀧本氏お勧めしていた「クリエイト速読スクール」の取り組むことを考えた。

ただ、いきなり通信教育をはじめても自分の性格だと途中で挫折するリスクも非常に高いことは、これまでの経験からわかっているので、まずは、クリエイト速読スクールが出版しているトレーニング本「速読ジム」をためしに2週間ほどやってみた。その本はこれです。

 この本で基本的なトレーニングを積んでみて、説明もロジカルで説得力もあったので通信教育を実施することにきめました。通信教育はユーキャン経由になります。金額は、3万8千円です。今年は旅行も行っていないし、まあ、いいかと思って↓のサイトで申し込みました。

実際の通信教育を実施した期間は3ヶ月です。 トレーニングにかかる時間が1日約1時間もかかるので、これは在宅で時間のコントロールができたからこそ達成できたと思います。

 

1日1時間とはいえ、正直、在宅でもプレッシャーのある仕事も抱えているので、モチベーションの維持は大変で、3ヶ月という期限があったのがよかった。

 

ただ、私は年齢的に老眼が最近強く出始めていて、速度の向上は正直厳しいなあと感じました。テキストの中にも「50代以上はいたずらに数値をあげることにとらわれないように」と注意書きされていることもあり、この講座はもっと年齢が若い人を対象にしているようにおもいます。ただ、ある種の脳トレ的な要素もあり、頭が固くなっている中年や認知症対策にも有効化もしれません。

レーニングに使う本は自分で選べるのですが、会話の多い小説だとトレーニングしやすいのですが、自分が普段読むような固い本を題材に使ってしまい、速読トレーニングとしては難しかったなと反省。難しい本はいくら目で早く読んでも脳みそをフル回転しないと速度についていけないので。トレーニングの中では判断力を高めるトレーニングもありましたが、この部分は効果がでるのは時間がかかりそうです。実際に私もロジックトレーニングのステップアップも時間がかかってました。

 

結果は、3ヶ月で約3倍の速さを達成することができました。もっと上達する人はたくさんいるらしいけど、年齢・老眼ということや、片手間にやってしまっていた部分もあったので、この結果にはひとまず満足しています。

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 今後は、1週間に1回程度のトレーニングを継続するようにしたいと思います。

ブログ名の変更

ブログの名前を「隷属からの卒業」から改めました。

あまり、現在の自分の状態を「隷属」ととらえていると、気が滅入るな・・・とおもったからです。「卒業」といっても、本当にそんな「卒業」が来るのかわからないし、そういった「卒業」を夢見るほど自分も若くはなくなったということでしょう。

「今を生きる」という名前は、30年くらい昔にみた映画のタイトルです。ロビン・ウィリアムスが高校の教師役の感動的な映画です。その中で生徒たちに、"Seize the day"と語りかけます。直訳すると「今日をしっかりつかめ」でしょうか。心を過去や未来のことでいっぱいにするのではなく、今目の前の現実に向き合うと意味です。

そうです。

今目の前を一つ一つ生きることが、大切ですね。

「この町ではひとり」(山本さほ) 知らない街で人生リセットの苦闘

人生の節目節目で辛いことから逃げ出したくなった時に、知らない街で人生をリセットしたくなる時がある人が多いと思う。

例えば進学や就職などで思うように行かずに、結果として知らない街で生活を始めることはよくあることだ。

「この町ではひとり」は、美大受験に失敗して横浜から神戸でひとり暮らしを始めた著者の1年の生活を描いたエッセイ漫画。

前作の「岡崎に捧ぐ」が小学生から漫画家になるまでの約20年を描いていたが、「この町でひとり」はその中で、山本さんがもっとも苦しかったであろう時期を描いている。

正直ハッピーな話でもなく、ギャグというには生々しく、辛い日々をそれほど読者に暗い印象を与えることなく描いているのは著者の力量と言えるだろう。

 

しかし、19歳で関東から、ひとり神戸でフリーターするのは結構大変だ。

漫画に出てくる神戸人はとてもガラが悪く悪質な人間に描かれている。実は私は初めて知ったのだが、神戸人は結構ガラとネット情報でも出てくるくらい個性のきつい人が多いようだ。全員が全員そうではないだろうが、たまにそのような個性の強い人にであうと世間知らずの19歳の関東の女の子には耐えられなくなるくらい辛いだろうなと想像できる。

ただ、世間知らずの未成年は、付き合ってきた人間の幅がどうしても狭いので、対応力に限界があるだろうな。そして、他人からの色々な言葉をネガティブに捉えて凹んでしまうことも多いだろうと思う。

こういった経験を通して対応力をつけていくのだろう。。このような体験は多かれ少なかれ、いろんな人が経験する通過儀礼のようなものかもしれないですね。

私、個人も経験したことは違えど、様々な街で新しい生活を何度か初めていく中で経験値をつけてある意味たくましくなったと言える。

 

自分には子供が二人いるけど、彼らもそのうち知らない街で通過儀礼的に人生リセットしていくんだろうと思うと、複雑な気分になる。本当はあまり辛い思いもさせたくないけど、人間社会は学校で習うような綺麗な社会でもなくむしろ理不尽さ・不条理さに溢れているのであるのだから、早いうちに経験させていくのも必要かもしれない。

 

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「Learn or Die 死ぬ気で学べ プリファードネットワークスの挑戦」(西川 徹 、 岡野原 大輔) が、眩しすぎる

PFNという会社は5年くらい前から興味を持っていた。

当時はIT業界でAIブームが爆発し始めた頃で、国内外の大手ITベンダー(特に外資)が様々な技術やサービスをメディアに公開していた。

私自身は、AIブームがきても、日々AIと縁のないシステム構築に明け暮れていたのだが、残念ながら業務では直接AIに関する仕事とは縁がなく過ごしていた。

そんな中、日本発ベンチャーDeep LearningOSSライブラリーを独自で開発しているPFNはとても眩しく見えたのである。

また、工作機械メーカーのファナックと協業してスマート工場を推進しているなど、既存のITベンダーにない独自の使命感やミッションを感じていた。

本書はそのPFNのFounderの書き下ろしである。

正直、50歳手前でSIerで割とレガシーなシステムを扱っている人間にはとても眩しすぎて、著者たちの熱い想いと他人を寄せ付けないハイスペックな能力に圧倒される。今の自分の仕事の立ち位置を考えると、ため息しか出てこない。

彼らはたんにソフトウェアを開発しているのではなく、半導体でさえ設計しているという。目的にためには、壁を設けずにできることを目指す姿には、自分たちの能力でコミットメントにキャップしている自分やその周りとは全然違う集団だ。

私も、ついつい惰性で自分のできることに壁を作っているのではないか?

新しいことにチャレンジすることを阻むのはそのような惰性や諦めではないか?

 

この本を読んで、むしろ、チャレンジするとは何かを改めて考える機会を得た。

物理的には色々制限(もう若くないとか)があるだろうが、何かチャレンジしていきたいね。

 

 

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