村上春樹「猫を棄てる 父親について語るとき」
村上春樹の新作エッセイの「猫を棄てる 父親について語るとき」が発売されていた(2020/4/23)ので早速KINDLEで購入して読んで見た。
村上春樹の故郷は西宮・芦屋で香櫨園で、私の家からも自転車で行けるところだ。エッセイの中でも身近な地名が出てくる。父親は京都の有名なお寺の子息だったそうで戦中に仏教専門学校を卒業し、途中徴兵で中国戦線で兵役についたりしながら、京都帝国大学に入学したそうだが、戦後の窮乏した生活の中で結婚し、大学院をやめ高校教師になったそうです。
一人っ子の村上春樹は、お父さんから学問方面への期待を強く受けていて、それがとても生き苦しかったようで、次第にお父さんから心が離れていき、後年早稲田大学を出て、ジャズ喫茶経営や小説家としてデビューした頃からは非常に疎遠になっていたと書いてあります。
確かに、村上春樹の小説やエッセイには父親の存在を感じさせる記述は今まで読んだことがなかった。むしろ、あまり故郷に対して積極的に言及することがなかった印象だ。
今回のエッセイで村上春樹ははじめて父親を正面から相対峙することになる。
それは、村上春樹が60歳を超え、父親がガンで京都の病院していた頃になって、ようやくお互いを理解し合えるようになったからだという。(それも最近の話で、10年くらい前のことだ。)
しかし自分が、その人生において果たすことのできなかったことを、一人息子である僕に託したいという思いが、やはり父の中にはあったのだろう。僕が成長し、固有の自我を身につけていくに従って、僕と父親とのあいだの心理的な軋轢は次第に強く、明確なものになっていった。そして我々はどちらも、性格的にかなり強固なものを持っていたのだと思う。お互い、そう易々とは自分というものを譲らなかったということだ。自分の思いをあまりまっすぐ語れないということにかけては、僕らは似たもの同士だったのかもしれない。良くも悪くも。
父と息子の間のこの心情は、息子の立場としてはわかる気もする。私も15年前に父をガンで亡くしたが、父からそれなりの期待みたいなものを感じて高校の時はそれから逃れたかった時もある。あまり勉強ができなくて大学受験とかとても苦痛に感じていたからなおさらである。私も父とは異なる方面で異なる生き方を意識的にせよ無意識的に選んできた。もっとも、そう行ったことを正当化するほどに、自分が成功したとはとても思えないので、不惑を越えたあたりから父親の気持ちもわからなくもないときになる時もある。もっとも、時すでに遅く父は死んでいるが。
今は、自分は二人の男の子の父親になり、むしろ父親の視点から今後、息子達と相対峙することになっていく。長男は小学校に入学したばかりで下の子は保育園児で、可愛い盛りであるのだが、今後、自分たちはどのような父子関係になっていくのか、気にはなる。もっとも、気になったからと言って、自分の思いだけでどうにかなるものでもなく、時代や環境にも影響されて、徐々にその姿が露わになるまで待つしかないのであるが。
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シンガポールで経験した哲学の意外な人気
哲学に関心をもち続ける事に少しだけ勇気を得る事ができた話です。
哲学って、日本で仕事をしていると本当に必要性を感じることのない、むしろ関心を持っていること自体が時間の無駄に思われ、変に哲学の話をすると周囲から変人扱いされるため、自分の内奥の奥底にとどめて置くしかないものに思ってました。
しかし、実際はそうではなく、むしろグローバルで活躍する人々の中で、意外と関心が高いのだと気がついた話です。
これは、私が20年近く昔に半年ほどシンガポールにいた時の話です。
当時は仕事で短期赴任する外国人のためのビジネス・アパートに滞在しており、そのビジネス・アパートの休憩室に、滞在者が自分の読んだ本を自由に寄付しても良い本棚があり、私も滞在の間にその本棚から本を借りたり、あるいは寄付したりする中で気づいた事があります。
その本棚に置いていくと、すぐに他の滞在者に読まれていくために本棚から消えていく本と、あまり利用されない本の間にある傾向がありました。
本棚にいつまでも残り続ける本は、わかりやすいハウツー系のビジネス書や自己啓発系の本です。
一方、意外だったのは、誰も興味がないだろうと私自身が思っているような哲学や思想系の本が、本棚に置くと数時間のうちに本棚から消えている事が多かったのです。
特に、私が置いた本で、以下の本は、きっと誰も読まないだろうと、半ば確信を持っていたにも関わらず、速攻で消えていきました。
- Introducing Wittgenstein (Beginners S) (John M. Heaton 他、著)
- 「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (鷲田 清一 著)
Wittgensteinは「論理哲学論考」で著名で20世紀の哲学に大きな影響を残した哲学者ですが、日本では哲学好きな人びとにくらいしか知られていないマイナーな存在に思いますが、この人に関して書いた本が、たとえペーパーバックの入門書とはいえ、すぐに手に取るような人がそのアパートに住んでいた事に驚きました。
もう一つの鷲田清一さんも現象学という20世紀の哲学の一つの領域で著名な高名な哲学研究者ですが、この本に興味を持つ日本人がシンガポールの高級ビジネス・アパートに滞在していたようです。
哲学に関する書物が意外とすぐに本棚からなくなるところから想像するに、このような高級ビジネス・アパートに滞在する人々は、日常のビジネス空間の俗世間的な世界から超越した思考の領域への関心を持ちづけている人もいるという事です。
私の日常生活の中でのビジネスの世界ではこのような領域に関する関心や話題が全くないので、驚きも驚きでした。
しかし、 最近ではコンサルタントの中でも哲学を取り上げる山口周さんのような人も現れており、どうやら哲学に関心をもちづける人々は実業界でも一定人数はいるようですね。
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ちきりんさんの「働き方改革と不眠不休の狭間」と安富歩さんの「満洲暴走」
社会派ブロガーのちきりんさんの「働き方改革と不眠不休の狭間」を読んでみたが、自分自身の体験も同じような「不眠不休」の圧力を感じることが多かったです。
特に、2000年代の日本の製造現場でのシステム化に携わることが多く、その中で、顧客からのプレッシャーがまさにこの「不眠不休」のプレッシャーであった。
システム請負の中で頂点にいる顧客から、様々な無理難題に応える必要があった。今思うと、そこまで要求する必要があるのか?そういった無理難題に応える必要があるのか、と疑問に思うことも多いのである。実際、無理難題が多かった顧客の業績はリーマンショックを境に転落していった。当時の担当者もリストラの憂き目をおった人も多かった。
だからこそ、2020年代になって振り返った時に、あの時の「不眠不休の努力」は本当にやるべきだったのか・・・と思うのです。
そんなことをつらつら思っていた時に、偶然に読んだ安冨歩氏(東大教授)の満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦」(角川新書)の中に、この「不眠不休の努力」の構造が、深く現代の日本社会の中に根ざしていること、そして繰り返し日本の歴史の中で現れることを知りました。先の大戦での軍部の暴走、平成バブルも実は同じ構造です。
このような精神構造やエートスが我々の社会の中に根ざしているのであれば、今後も「不眠不休」は繰り返されおびただしい被害が繰り返されるのか・・・と思うとゾッとします。
でも、そろそろ日本も人口減少やGDPの低下を迎え、この精神構造が変わらざるを得ない時期になってきているなと私個人は思っています。
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「同時通訳者の頭の中」(関谷英理子)・・・・英語力をなんとか身に付けたい
外資系IT企業にいると英語が必要なタイミングがいくつかあります。
昇進にTOEICスコアが要求されたりすることもありますが、時々海外出張があって英語でコミュニケーションを取る必要があります。
特に困るのが、完全ネーティブだけの状況に置かれた時です。正直、辛いなと思いますが、凹んでいても始まらないので、必死に(に見えないように振舞いながら)サバイバルします。
なので、英語学習に対する必要性は身にしみてわかっているはずですが、日常業務と共働き子育てという環境ではなかなか勉強する時間と元気を捻出できません。。。
と、言い訳にしていてはどうもならないので、時々こう行った英語勉強本を買ってやる気を喚起しようとします。
本書で、得た気づきとしては、
同時通訳に必要とされる能力が「反応力の高さ」、要は「レスポンス力」です。
につきます。これが、確かに英語コミュニケーションでもっとも重要!!
どうやったら、レスポンス力を高めることができるのか?筆者は、
- 文法力
- 語彙力
と言います。特に、語彙力に関しては、
語彙力をますますインプットすることで、「レスポンス力」を鍛えます。これらをアウトプットして、繰り返し継続することで「イメージ力」に昇華させていきます。
ということが重要だそうでs。
私はこれに
- ハッタリ力
を加えたい!(ホリエモンが最近「ハッタリ」に関して本を書いていますが、それに通じるかもしれません。身の回りでもハッタリが巧みな人はコミュニケーション全般に能力が高いように思います。)
あと、やっぱり、リスニングも結構日本人にとってハードルが高いですが、
「実際の英語は早くて聞き取れない」という人が誤解していること。
それは、英語は「速い」のではなく、「短い」のです。
なるほど、そうだったのか。筆者は、さらに、オススメの参考書として、
「英語リスニングのお医者さん」(The Japan Times)をあげています。
リスニングを高める方法に、シャドーイングが有名ですが、リテンションの方が役立ちそう。
リテンションとは「短期記憶保持力」。
シャドーイングのように英語を聞きながらいうのではなく、一つの文を聞いて記憶して再現する。
シャドーイングが苦手な人はまずリテンションの訓練で短期記憶を高め、覚えたことを再現する力をつけていきます。
今日からまた英語勉強再開していきます。その経緯はまたブログでも報告していこうと思います。
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「東京の戦争」(吉村昭)・・・・あちこちのすずさん的な東京の少年
この夏NHKで「あちこちのすずさん」という番組をやっていた。
太平洋戦争末期の空襲が日常になった中で、慎ましくありながら、逞しくも日常の幸せを求めるごく普通の市民のエピソードが語られていた。
そのような戦争の中の日常生活が語られるようになったのは、映画「この世界の片隅に」からだが、戦争に対する記憶を持つ人が身近から減ってきていることも原因かもしれない。
本書「東京の戦争」は、当時18歳だった吉村昭さんが東京の日暮里で暮らした日々を「あちこちのすずさん」的に吉村少年の視線で描いている。
下町の生活、上野浅草の寄席や芝居小屋、相撲取り、B29の編隊、中学生活、長野県へのひとり旅、そして空襲と家族の死を、吉村さんらしい歯切れの良い文書で描写されている。
この本を読んで、また一つ戦争当時の東京での人々の暮らしに対する理解が深まった。
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「幻の声 NHK広島8月6日」(白井 久夫 ) ・・・・この世界の片隅と併せ読む
原爆投下直後の広島でラジオの中から支援を求める声が流れていたというNHK視聴者の便りをきっかに、その事実を追い求める元NHKディレクターの手記である。
原爆投下直前・直後の広島やアメリカの原爆投下作戦の実行状況を念入りに追った優れたドキュメンタリーです。
こういった教科書に載っていない日本の歴史の片隅を理解するのが、本当の歴史教育なのだろうと思います。
映画「この世界の片隅に」を観た人なら、本書のp106に記述されている
七時三十一分、警戒警報解除。
この時「中国軍管区内上空に敵機なし」という放送を記憶する人は多い。
のシーンを思い出すことができると思う。映画の1時間39分49秒で女性の声で放送されているシーンを観ることができます。
こうの史代さんの「この世界の片隅に」は史実をかなり忠実に再現されており、映画化の際に、片渕監督にさらに史実への忠実さを高めらていることを実感します。
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価格:907円 |
「遠い日の戦争」(吉村昭) 当時の人々の息遣い・・・「この世界の片隅へ」と併せ読むべき
この夏NHK地上波でも放送された映画「この世界の片隅へ」を観られた方も多いだろうと思う。「この世界の片隅へ」は2016年に公開されて非常に話題を生んだが、単に戦争の悲惨さをアピールするのではなく、当時の時代を生きていた普通の人々の生活を淡々と辿ることで当時の人々の心情が現代を生きる我々にも共感できる部分が多いことを感じさせてくれた。
確かに、当時の人々がどのように考えていたのかは歴史の教科書では学べないことだ。
本書「遠い日の戦争」もそのような当時の人々の心の動きを史実と合わせ読み理解ですることができる歴史小説の一つである。
ネタバレになるのでストーリーは書かないが、終戦前からの本土空襲の状況から終戦後の日本で戦争犯罪者となることを怯え逃げる元陸軍中尉が主人公である。
九州から関西(大阪・神戸・姫路)と西日本が舞台であり、「この世界の片隅へ」と合わせて、西日本の状況も理解できる。
当時は、本土決戦の名の下、西日本では着々と米軍迎撃準備が行われていたし、沖縄戦以降の西日本への攻撃の激化も知ることができた。
価格:529円 |
「この世界の片隅に」は、公開時には含まれなかった原作のストーリーを追加して「この世界の(さらにいくつもの)片隅」となって、2019年12月20日に公開されます。
楽しみですね。